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かんじんなことは、目に見えないんだよ

2月になりました!!
みなさまいかがお過ごしでしょうか?


少し投稿が遅れてしまって申し訳ありません! 今回はこちらを見て下さっている方の為に、ブログを先に更新してみました★  この間2015年になったと思ったら、もう1ヶ月が過ぎました。1月はオーディションがあったり、仕事も忙しく、自分を見つめる時間が少なかったかもしれません。本当の意味で毎日を大事に過ごしていきたいと思います♪ ☆そして2月1日でまた一つ歳をとりました☆ 本当にその歳、その時にしかできないことが必ずあるはず。その今の自分を大切にしていきたいです。 たくさんのメッセージを頂き、ありがとうございます☆ 今月は何を書こうか、と思っていて考えたのですが。先の事を考えるのも大事だと思うのですが、今回は、過去の事を。自分の形跡を書こうと思います。なので、今回はまったくの自己満で自分の生い立ちを綴っておこうと思います。いつも固く書きすぎちゃうので、ゆるめに書こうと思います☆


ーーーーーーーーーーーーー 1985年2月1日 新潟県新潟市で生まれる。 幼い頃は剣道や書道等をしながら、当時流行っていた漫画『スラムダンク』に感化され、小学校からバスケ部入部を希望するが、女子バスケしかなく、サッカー部に入部。自称井原正巳(元全日本のセンターバック)。ローラーブレードクラブ、図画漫画クラブも同時に入っていた。自称ゲーマーでテレビゲーム大好きっ子。ポケモン、四目並べ、ベーゴマ、メガタゾなどが流行る。好きなポケモンはカメックス。修学旅行は佐渡。行った場所は佐渡金山。牛乳委員会所属。

 中学に入り、即柔道部に入部。ほぼ毎日真面目に道場に通うも、バスケでダンクがしたくて、一ヶ月で辞めて念願のバスケ部に入部。学校大好きで学校内でもほぼ1番か2番に登校していた。昼休みはチャイムと同時にバスケット。部活と同時に流行っていたのはマジック・ザ・ギャザリングというカードゲーム。あとゲームの活動の場所を広げ、ゲームセンターに。メタルスラッグ、キングオブファイターズ、カプコンVSマーブルヒーローズ、などに熱中。バスケ部は1年生、2年生の時は先輩が非常に厳しく、上下関係の厳しさを体に叩き込まれる。しかし同期の仲間がいたので、乗り切れた。しかし3年生の時部活の顧問の先生が代わり、いきなり部活を強くするという方向性になり、それまでの楽しい部活から激変、勝ちにこだわる部活になり、A,Bチームに分かれて、そこでBチームになり、練習メニューもAとBチームで違って、入ってきた1年生と一緒の練習メニューという、若い自分には屈辱的な仕打ちを受け、耐え切れず幽霊部員に。人生一回目の挫折。修学旅行は京都、奈良。  中学3年生くらいから勉強に目覚めてそれまで、まったく勉強してなかったのにある程度成績良い高校に進学。
1年時はスポーツクラス。1年時の担任の先生がある事件を起こしで学期途中でいなくなる。担任変わる。それ以降教員への不信感が強まる。また楽しくバスケがしたくてバスケ部入部。しかしそこもまた強い学校で1年生から球拾いの日々。上手じゃなければ、人間としての価値も低いんだ、と感じて顧問に手紙を書いて退部。二度目の挫折。修学旅行はまたしても京都、奈良。  第一志望の大学を4回受けるも、受からず。友人に薦められた滑り止めの大学に入る。

新聞奨学生で住み込みで仕事をしながら通学。朝2時起き×週6で授業はほぼ眠っていた。自分の体だけで出来る、何か新しい事をしたいと思い、テコンドー部を見学に行ったら、隣のモダンダンス部の主将に『良かったら見ていったら?』と誘われて、はじめてダンスと出会う。体というものをこれだけ意識してストレッチをしていたり、男女がとても楽しそうな雰囲気で創作をしている姿に感動して、入部。 始めは創作ダンス部で、初舞台は新入生歓迎会での武富士のJAZZダンス。毎年神戸で行われる大会で、はじめてステージというものに立つ。今までバスケットでレギュラーにもなれず、ただただ応援していただけの人生の中で、舞台に立つ、という事が自分の中で自分はレギュラー なんだという気持ちが強く残っていました。
大学4年間は今までの挫折を払拭するかのごとく、全ての時間と思考をダンスに捧げる。学校登校時はいつも練習着。創作ダンスの部活以外にもアニメーションダンスのチームに入ってクラブなどで踊ったり、コンテストに挑戦する日々。部活のある日は朝7時から近くのサービスエリアでバイト→学校→部活→ミーティングの毎日。部活を引退してからは7時から16時までバイト→新宿に練習して行って池袋23時48分発の終点で帰る日々。
 卒業後は飲食業に就職。某うどん屋さんの店長や某有名ドーナツ店(ポン○リン○、オール○ファッショ○等が有名)の社員として3年間正社員として働く。忙しすぎて、ダンスをする時間や気力は無かった。しかし転勤で新潟に戻り、実家暮らしになり、時間と気持ちの余裕が少しずつ出てきたときに、やはりダンスをもう一回やりたい、と強く思うようになり、退社。退社後約半年の準備期間を経て渡米。今に至る。


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 ★やっぱり長くなってしまいましたね。。。でもこうしてNYで踊れていることに改めて感謝。ダンスに出会えて本当に良かった。ダンスは文字通り自分の人生を変えてくれたんだ。そこで出会った仲間や先生にも本当に感謝だし、大事にしていきたいと思っています。運命とか偶然とか奇跡とかってあんま信じないですが、ダンスに出会ったことは運命です!
バスケットではリングにボールを入れられなければ不正解。 サッカーだってネットにボールを入れなければ不正解。 でもダンスには不正解が無い。 手を右に動かそうが、左に動かそうが、叩こうが、止めようが。それは不正解ではない。正しい答えがない。だからこそ、楽しいし、難しい。そして終わりがない。それはもはや自分の生きる人生と同じなんだ。  
大学までは周りにルールという鎖をガチガチに固められてきた分、それが解き放たれた時の人間はすごく活き活きする。何か一つ夢中になれることを見つけるだけで、こうも人生が変わってくる。見る視点が変わってくる。多かれ少なかれ、みなさんにも何かあるはず。物でも人でも出来事でも。ほんのひとつのきっかけが人生を変えてくれるような。自分はそれになりたい。求めて得るきっかけもそうだけど、何気ない瞬間に出会ったきっかけに出会いたいなと。自分がダンスと偶然出会ったように。 これからの人生は自由で、自分の人生は自分で創っていく。それが創作であって、僕が一番魅力を感じたものであり、大事なものだと信じています♪
終点が決まっている道を進むより、終点を自分で作って、それに向かって各駅停車の駅を作っていく。時に急行で、時に止まったり。だからゴールが決まっている人生を否定するのではなくて、それをいかに自分で創っていけるか、が大事だと思うし、そうすることで楽しく生きていける。

かんじんなことは、目に見えないんだよ By サン=テグジュペリ そしてその最終地点は形がない。でもその過程で様々な計画を立てて具体的な目標を決めて進んでいく。そうすることで年齢を重ねてもずっと熱く、楽しい人生を送れるのだと思います。今年は既に新しいプロジェクトも動き出そうとしています。一人で出来ることは限られています。みなさんのご協力が必要不可欠です。。 2月も精一杯活きていきます★よろしくお願いします!!