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【形がないが故に壊れる事もできない】

【形あるものはすべて壊れる】 Here comes April!!

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
で始まる平家物語。

 多くのあらゆるものは、日々変化しつづけるもの、という意味で、永遠不変なものはないということ。 

大切な人からもらった指輪も、
誕生日にもらったプレゼントも、
いつかは壊れて、無くなってしまうことが当たり前であるという事だ。

 残念な事にこれは事実で、どんなに気をつけていても、自分ではコントロールできない外的要因によって、形あるものを失ってしまう可能性は大いにある。
でも、その中でも壊れないものを最近見つけてしまった。  


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【アートへの憧れ】

 ダンスという自己表現を初めて15年以上。
いわゆる『プロ』になってからは10年くらいだろうか。

 ニューヨークでたくさんのアーティストと出会う中で、ダンスという自己表現にはない、『絵』『彫刻』『写真』『映像』など、形に残るものに憧れた事があった。
なぜなら、
ダンスは瞬間的なもので、その場で形として消えてしまうから。 

3分のパフォーマンスであれば、お客さんの前で表現できるのは180秒の時間だけで、そのあとはキレイさっぱり残らない。 

反対に、形に残るものは、作品自体がずっと自分の分身として表現し続ける事ができる。
1枚の紙っぺらに書かれたそれを見るだけで、人の心は豊かになり、1日に彩が加えられる。


商業的にも、形に残るものは、それらを展示する事で自分がいなくても作品として売ることもできる。作品を量産すればそれらを移動させるだけで、商品として成り立ち、ビジネスとして成立もする。

 同じようなアート、エンタメ、パフォーミングアーツという世界で生きていく中でも、それらに憧れ、嫉妬し、羨ましいと思ったこともある。
じゃあなぜ僕はこの活動を続けているのか・・・? 


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【形がないが故に壊れる事もできない】

 僕の人生で費やす時間の多くは、
誰かにとって残念ながら、形には残らないものが多い。
一方で、
誰かにとって幸運にも、心に残り続けるものもゼロではない。

 人生が変わるきっかけは一人一人違うけど、僕の場合のそれは形に残らないものだった。

  親から買ってもらったゲームでもなく、
上司からおごってもらった高級料理でもなく、
大切な人からもらったプレゼントでもなく、

  ダンスであり、
人との出会いであり、
未知との遭遇が、自分の人生を変えてくれた。

 そしてそれは見えないけど、ずっと心の中にそっと置いてあるもので、おそらく一生無くならないものになっている。
それは人を勇気づけることもできるし、時に傷つけてしまうこともある。
言葉や実体験は、忘れたくても忘れられないものにもなりうる。

 だからこそ、
自分がしている事に、もっと誇りと責任を持って行動していきたいと、特に昨年度出会った子ども等から教えてもらった。
他人に対する言葉や行動は、自分に対する言葉や行動。