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【人間が想像できることは、人間が必ず実現できる】

Anything one man can imagine, other men can make real. ⁡
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興味と恐怖は紙一重


知らない事に直面した時に、人はどう感じるのか?

知らないがゆえに、盾で自分の身を守ってその場から動かないか、
無知である事を武器に、恐れを知らずに前へ進んでいくか。

未知のものに対してどう思うのかは、人それぞれ違う。だから、行動する事が必ずしも全て正しい事だと結論を出すには、少し早いかもしれない。

5月に行ったヨーロッパの旅では、毎日想定外の出会いが続き、精神的にも体力的にもかなり疲弊した。でもその振り幅が、今の自分の身の丈を大きくしている。

一方、今回のハワイの旅では、旅行会社のツアーで行った事もあり、上記のような刺激は少なかった。おまけにハワイは日本語で生活できるレベルで日本人も多かったので、そういった意味での安心感はあった。

どちらにも良い面があり、物足りない面もあるけど、自分が何を求めるかによって変わってくる。
ただ、一つだけ確実に言えることは、自分で選択した恐怖感は、リラックスや、平凡な生活に刺激を与える。

それがどのような選択であってもだ。自分で選んだのであれば。


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冷蔵庫のあまりものでも美味しいものは作れる



年齢を重ねていくうちに、知識や経験によって効率的に、ミニマムで生きていく事ができるようになっていく。
そして、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを考え、挑戦する壁を自分で作ってしまう。

本当はしたい事だったり、やりたい事があるのに、総合的に考えると、やらない方が良いという選択になる事が多くなる。
未知のことや自分が今まで経験していない事をしようと促されると、多くの人々はできない理由を重箱の隅をつつくように探し、論理的な根拠を構築する。
その根拠は思考となり口から言葉となって出てきて、言葉になった途端にどんどん行動が停滞し、最後には停止してしまう。
旅行なんてその最たるもので、時間もお金もかかる中で、日々の暮らしを守らなければいけない中では、余計なものとなる。

ただ、この余計なものが人生にどれだけあるかで、人の器の重みが変わってくると僕は考えている。
必要のないものにどれだけ自分の時間や熱量を注ぐ事ができるか。

今、冷蔵庫に入っているものでも、美味しいものを作り、食べる事ができる。
ただ、新しい食材に出会った時、今までのものと組み合わせることで、そこに革新(イノベーション)が起きる。

そこにまた新たな喜びが生まれる可能性だってある。

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余計なことをするために、余計なことは考えるな



ビギナーズラック、とは余計な事を考えないから起こる。
判断と決断の違いは、判断がさまざまなデータをもとに答えを出すのに対して、決断は自身の直感で答えを出すところにある。

『異見』を尊重し、「こんな意見もあるんだ」「こんな世界もあるんだ」そんなような未知の領域に踏み込んだ時に、人間の根源的な喜びがある。

⁡ロールプレイングゲームでも、ステージ1で弱い敵(スライム)を永遠に倒しているプレイヤーはいない。⁡
少しずつ自分のレベルを上げながら、動けるフィールドを広げ、更に強い相手に勝てるようになる。これを繰り返していく事が、没頭するということ。だから終わりはない。 ⁡⁡

興味と恐怖は隣り合わせ。⁡
「怖いもの見たさ」という人間の感情は、、、 ⁡⁡

怖いけれど見たという自分の意志で決めた行動が、自由な発想につながり満足感を与えてくれる開放感。⁡
怖さの真相を知り、さほど怖くないと自分を安心させてくれる安心感。⁡
ダメだといわれると余計に興味を持ってしまう(カリギュラ効果)好奇心。⁡
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⁡ その先には今は想像もできない未来が待っている・・・かもしれない。⁡
チャレンジした結果、結果的にやっぱり挑戦しなかった方がいいと思うこともきっとあるだろう。⁡

⁡ だけど、それでも、今これを見てくれているアナタ、そしてワタシ。⁡
色々あったけど、今なんとかなったから、これを見る事ができて、これを綴る事ができている。⁡
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踏まれても立ち上がるという余計なことにエネルギーを使うよりも、踏まれながら花を咲かそう。⁡