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【「知らなければよかった」と思うことはありますか?】

Do you ever think, “I wish I didn’t know that”?
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ダンスの可能性


ダンスを生業として、約10年。
最初はとにかく自分が上手くなって、見ている人を驚かせたり、オーディションに勝ち進む事だけを目標にしてきた。
今でも、その気持ちは変わらない。だけど、確実にその比率は変わってきていて、そのダンスや生き方をもっと広めたいという気持ちが強くなってきている。

色々な所で子どもたちと触れ合っていく中で、授業の最初は緊張している様子があるのだけど、準備運動などを行い、体を動かして汗をかいていく中で、少しずつリラックスした表情になっていくのが見受けられる。
学校の行事などで、一緒に踊る体験をしたことがある人は多いけど、実際にダンスを習ったことがある人は、以前に比べて多くなったとはいえ、まだまだ少数。
そして、今実際に学校で子どもたちが踊っているのは、Tiktokなどでよく見かける、いわゆる『バズる動き』というもの。
ただ、毎年訪問している中で、これらの流行の動きは、翌年には踊られなくなっている。

踊ることのきっかけとしては、素晴らしいコンテンツだと思う反面、ダンスの本質って何だろう?と考えてみると、それはやっぱり自分の心の中にある感情を、身体を通して解放できる楽しさにある。
その道を極めたいと思えば、続ければいいし、
その瞬間をもっと味わいたい思えば、舞台に立てばいい。

人の真似をする事で上手にはなっていくし、もしかしたら大会の結果も良いものになっていくかもしれないけど、果たしてダンスの可能性はそれだけなのか?

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教科書通りに教えるのは簡単


一つのステップを教えるだけでも、人によって身体のアプローチやこだわりが違うので、伝え方も千差万別で、それが一つのダンスレッスンとなったら、仮に同じ振り付けを教える事になったとしても、指導の仕方は先生によって異なる。

僕が教育実習に行って高校生に英語を教えていた時には、指導要領というものに基づいて、指導案を事前に作って、それに従って授業を進行していた。ダンスの指導も基本的にはそれなのだが、僕の場合は、基本のベースラインは崩さずに、遊びの時間を入れるように心がけている。
単純に時間に余裕を持たせたり、質問を受けたり、また、こちらが一方的に教えるだけではなく、子供たちにも動きを創ってもらう時間など、双方でやりとりできる空間づくり。
それは言わば、公開日記を書いてもらうようなもので、自分の今までの経験や体験で感じたことを身体で表現すること。板書をノートに写すだけであれば、反復練習としての学習には大きな意味を成すが、今度はそれを応用して、自分の頭の中を整理してアウトプットする作業になる。
なので、今まで習ったり見たりしてきた動きから、一つの作品を作ること。

このバランスは非常に難しく、ルールが無いと言えば無いのだけど、ある程度の型がなければ、なかなか形にすることは難しい。
だけど、根幹はなんでもいい。音楽が流れて、身体が赴くままに動いたその流れがダンスになっているだけのことなので、
特に思春期の年齢になってくると、人前で表現することに恥ずかしさが出てくる。特に身体表現なんて隠しようが無いから、本当にありのままになる。

だけど、その一瞬だけでも輝ける自分の居場所が見つかるきっかけになるのであれば、僕自身もダンスの教科書からどんどん脱線していきながら、それが実は人生の教科書からはみ出しても良い時もあるかも、という事を伝えたい想いもある。
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知ってしまったら、戻れない


スポーツだって、先に結果を知ってしまったら、その試合のワクワク感は半減、もしくは結果が分かっていたら、もはや見ない人もいるのではないだろうか?
結果が全て、だという選手は多いが、でも見ている人は実はそうでもない、かもしれない。
新しい世界を知ることだって、一回知ってしまったら戻れない。
もしかしたら知らない方が幸せだった、と感じることもあるかもしれない。

それはつまり、
過去に戻りたい、と思っても戻れない。
後悔したくない、と思っても、後では悔やむことしかできない。

知ってしまったら、もう過去の世界には戻れない。だったら、もう一歩先の新しい世界を知ればいい。

全部を知る必要ないし、現実的にそれは不可能だ。
それでも僕は、知らなければよかったと思うことは無い。
ダンスがほとんど未経験の子どもたちは、その初体験を全力で挑戦してもらいたいし、
その中で新しい事を知り、そして自分の中から創り出すことで学んでもらいたい。

教科書通りに生きていく事、周りの大人やニュースに教えられた事だけをしていくことが全てではないということを。