【『夢』とは自分のためのもので、『志』とは他者のため】
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一定のレベルにまで徹底的に高めたら、必ず人に伝達する時期がやってくる
アメリカでアーティストビザという公に働けるビザが取れてから9年。ダンスを始めて18年。
ただ好きで始めたことをただ続けていったらいつの間にか仕事としてできるようになっていた。
当然、
その中で人並みに悩んだ時期もあったけど、辞めようと思ったことは一度もない。
もう踊りたくないと思う時はたまにあるけど、辞めたいと思ったことは本当に一度もない。
もうダンスは仕事とか趣味とかそういう感覚ではない。
顔を洗うように動いて、服を着るように踊って、もうそこに在るものだけのことで、
上手になりたいという願望も消えることはない。
色々なオーディションに挑戦したり、もっともっと大きなステージに立ちたいという気持ちもある。
しかしながらこれも当然の事だが、オーディションには年齢制限があったり、身体は確実に変化していく。まして今はオーディションすら無い所もほとんどで、限られた椅子はさらに縮小しているにも関わらず、表現者の数は変わらない。
ダンサーの仕事は特にそうで、これだけキッズダンサー人口が多く、踊りがブームとなり流行っているこの時代に、ある一定以上の『大人』になったらどんな仕事をしているか知っていますか?
ダンスの先生や、バックダンサー、自身でパフォーマンスを続けながら生計を立てている人等がほとんどだと思うが、
今、既存の仕事が完全に無くなって、保証も何もないこの時代に、自分のすべき、選ぶべきものは何なのか?
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常に夢は張り替えられていく
夢は現実の延長線上にしか理想を持たず、かつて夢だったことが現実になり、今の現実の延長線上にまた次の理想を作る。
何度踏まれても立ち上がることも大切だが、踏まれたまんま茎を横に伸ばして咲く花もあるように、その時の状態でできることを最大限に発揮することの方が大切。
超合理的に生きるのであれば、「睡眠・仕事・食事」のみやっていればいい。 でも、それだけだとちょっと味けない。
僕のこの文章もダンスも表現も、「睡眠・仕事・食事」時間は削られたかもしれませんが、その分、 心がちょっとでも豊かになったのならば、最高の無駄時間を過ごしてくれたのだと思う。
無駄を、無意味を恐れるな。
「登った者にしかわからない」
ならば、登ろう。
背伸びして、踏み出すと、
「見える光景」に達する。
僕は自分の好きなことからずっと逃げていた。というより逃げていたという幻想、つまり忘れたふりをしていたんだ。
ちょっとだけ勇気を出して前に進んだら、見たことのない景色が見えた。
だから、それを伝えたいと思った。
美味しい食べ物や、綺麗な物を見つけたら、それを他人に教えたり伝えたくなるのは当然の事。
だから、
その景色を自分の目で見に行こう。
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他人の人生に寄与するということ
エンタメは確認作業
という言葉はよく言われることで、
どんな人間離れをした超人技も、1121個ある世界遺産も、宇宙の中でまだ見た事のない景色も、
今は全部オンラインで見ることができる。
拡張現実(AR)や仮想現実(VR)などを技術を用いれば、あたかもそこにいるかのような体験もできる。
だからもはや自分が見たいものはいつでも見ることができ、体験することもできる。
知らないことがあっても、ググればいつでも知ることができる。
そういった意味では全てのものはエンターティメントで、確認作業なのかもしれない。
じゃあなんのために頑張って生きているのか。
僕の場合、
最大の喜びを感じるのは、人に喜んでもらった時
だからこそ、今自分はしていることを発信して、してきたことを伝え続けている。
一人の人間の生き方のサンプルを参考に、それぞれの人の人生を豊かにしてもらうことが僕自身の『志』
見返りは求めない。
大事なのはその感覚であり、内容ではないから。
だからこそ、自分が最大限に熱量を持って発信し続けます。