回顧と懐古
一人で踊ることや表現することが多いので、自然と一人の時間が増えます。これはNYに来てからずっと変わらないことで、作品を作る時もスタジオにこもって、自分の引き出しの無さに嫌気がさしたり、とにかく自分の世界にのめり込みます。
それはそれはとんでもなく効率の悪いことで、
ダンスの練習なんて、上手くなったと実感できる瞬間なんてほとんどない。
でも、体は正直で、できなくなるのはとんでもなく早い。身体を維持するのは本当に面倒な作業で、ダンスが好きだとはいえ、練習やジム、外に走りに行く前はいつも憂鬱で。
だけど、やらないと何かモヤモヤして。
そんなジムにこもる時間が増えた今、NYに来たばかりの時を思い出している。その時はとにかく人と違うこと、練習量で圧倒し、我関せずの精神ばかり。
「回顧」の場合、感情は含まれず、単に過去を振り返る行為を意味しますが、「懐古」の場合は、過去を振り返り、懐かしむ感情が含まれる。
英語では “think back”と “recollect”
ノスタルジーに浸っていては、革新は生まれない。
過去よりも未来を感じていたいという気持ちも、もっともだ。
ただ、わずか1ヶ月の滞在で、感情を含んで過去を振り返ることで、その時の気持ちを感じることができた。これは久しぶりに旧友にあったり、懐かしい場所に行ったりすることでも体感することができるかもしれない。
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RecollectからRe:Connect
それと同時になかなか会えなかったかつての仲間と会う機会もできるだけ増やすようにしている。新しい関係にはならないかもしれないけど、お互いを取り巻く環境は当然変化しているので、
久々に出会うと、当時以上に人脈や見解も増えていて、もしかしたらそこから次に繋がる大きな可能性を秘めているかもしれない。
もちろんそれだけを求めて会いに行くというのも違うかもしれないけど、少なくとも自分はそれを持っていたい。
例えば小学校の同級生と10年以上ぶりにあって、
「あの頃と変わってないね」
というのは、一見すると
「若い時と顔つきや容姿も変わっていないね(=老けていないね)」
という意味に捉えることもできるかもしれないけど、むしろ
『あの頃と全然違うね』
と良い意味で言われたい。
むしろ変わっていない方が不自然なわけなので、だったら、まるで違う自分になっていたい。
もしその時にお互いがそうであれば、再会ではなく、それはもう新しい出会いになっている。
それが、Re:Connect。
しかもある程度素性は知れているので、そこには既にある程度の信頼性はある関係性になっている。
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年は取らずに重ねていく
大人になるにつれて、当然、若さというものは衰えていく。
これはある意味カウントダウンという考えで、どこかの年齢をピークに、時間が過ぎていごとになくなっていく。
でも、年齢を重ねていったらどうだろう?
それはどんどん高くなっていく。
歳を重ねるということは、経験を重ねること。
辛いことや苦しいことも様々に乗り越えて、思考の枠組みは広がり、人間的にも深みが増していく。
年齢を重ねた自分を肯定し、受け入れ、愛し、
その上で、その自分が常に最高に輝き幸せでいられるように、ヘルスケアやスキンケア、メンタルのケアをポジティブな気持ちで行うこと。
その結果、輝き続けている人を僕はたくさん知っている。
自分もそうであれるように。
たまには感傷的になって過去を振り返ろう。それに浸ったらまた次のステージへ。
「あの時は良かった」
と思える今に。
それでは、最高の4月へ。