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【後悔する事があったら戻って言えばいい】

幸せになる技術を身につけた弊害

大人になってから、本を読み始めました。
それは、自分が本を出すきっかけにもなったし、一人の人生の考え方を1時間程度で擬似体験できる、他にはなかなかない、コスパの良い手段。

考え方は人それぞれという大前提の中でも、その中でも共通点が多い項目がいくつかあり、例えば
・早起きは良い
・読書は良い
・散歩は良い
などは、例外もあるが、大体の人が良いと言っていることだ。
他にもいくつかあるけど、すごくシンプルなことを共通して言っている事が多い。
なので、自分もまずはその共通点を真似てみようと思って、日々できるだけ自分の理想とするイメージに近づけるように努めているつもりだ。全ての事柄は表裏一体で良い面も悪い面も持ち合わせているので、いかに自分にあっている習慣を見つけるかが大切で、それにはやっぱり自分の身体で試してみないと分からない。

その中で、『幸せに生きる』方法というのもよく出てくる項目で、
具体的な行動もあるけど、
精神面や考え方次第でどんな状況でも、幸せに感じることはできる。

これは一種の技術で、頭の中で捉え方をある意味強引に捻じ曲げて、自分の都合の良いように解釈する。ということでもあって、
辛い経験や納得のいかない出来事に対しては非常に有効な手段、ということの一方で、
怖いのは、この小手先の技術で、本当の真実や大切な事だって、いかようにも感じる事ができる事だ。

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幸せとは幻想でしかない

 

幸せというものがそもそも幻想ならば、その幻想自体を徹底的にリアルに感じてしまえば、幸せになった気になれる。脳のカラクリを利用して、幸せという幻想状態を作り出す事ができる。

人間を不幸にしている原因は、自分の欲求。
その欲求を抑え込んでしまえば、不幸だって避ける事ができる。

じゃあ自分だったらどうするか?
具体的なゴールへの道のりは、AIに聞けばかなり正しいプロセスを教えてくれる。

だから、このAIに頼らず、自分の考えていることを吐露するこの時間がとても大切で、
僕の今の考えとしては、欲求が不幸の原因であるのであれば、その欲求がなくなったらどうなるか、を試している。
その反面、欲求は人生に充足感や達成感を与えてくれる。

今は、地球を旅することが自分の知的好奇心を満たしてくれるので、それがなくなった時に自分はどうなるか?という実験段階。

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何かを得るために、何かを失う必要はない

 

トレードオフの原則で言えば、新しいスキルを習得するためには時間や労力を費やす必要があり、その分、他の活動に使う時間が減ります。これはスキルだけではなく、自分が欲するものがあったら、今あるものを手放す必要がある。

が、果たして本当にそうなのか?

規模こそ決して大きくはないかもしれないけど、
昔からなりたかった学校の先生は、違う形で叶っている。
本当に自分がやりたいことを考えて、やり続けているつもりです。
エンタメ交流会なども、細々と続けています。
舞台が2年以上なくなったこともありましたが、踊り続けています。

自分自身のダンスのスタイルや性格上、
一つのことを極めるのが苦手で(飽きてしまうため)、
だけど、続けることは比較的得意で、

じゃあその時に、自分の今までの活動を止めることなく、例え少なくなったり、あまり動けなくなったとしても、
細々と全てを同時に続けています。

ダンスも、学校訪問も、旅も、交流会やYoutubeだって。
自分の出した答えが間違っていたと思ったら、その失敗に立ち戻り再挑戦すればいい。
意図しない形で誰かを傷つけるような事を言っても、誠心誠意謝ればいい。

幸せに生きたいと思い続け、
常に幸せでなければならないというプレッシャーが生じ、逆に不安やストレスを感じるようになってしまう。

どうせ未来は外的要因によって変わらざる得ない状況になるのだから、
今は2年くらいは先を考えず、
目の前の欲求に身を委ねで、それを潰していく。
それと同時に、
決して今まで積み上げてきたことの流れも止めることなく、流し続けていきながら、
並行してしばらく泳いでいきたいと考えています。
是非そんな自分の旅に、これからもお付き合い頂ければ嬉しいです。