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【手本にはなれないけど見本にはなれる】⁡


無責任に伝え続ける


今年もたくさんの学校に訪問させて頂き、これまでの学校訪問数は270校を超えました。
ただ、その時にしか会えない子どもがほとんどで、再開するのは本当に稀だ。

今は、SNSなどで活動を見てもらえるので、中学生以上くらいになると、そのようなものを介してメッセージをくれたりする子もいたりする。

僕は既存の先生や親と違って、物理的に近くにいないので、その子の将来に対して身近に並走できるわけではない。
だから、直接指導できるわけではないし、全てに対応できる時間は誰だってあるわけではない。

だけど、生き方のサンプルとしては発信し続けることができる。
学校の先生のように責任は持てないけど、だからこそ言えることがある。

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『見守る』と『無関心』


見た目は同じだけれど、大きく意味の違う言葉。
無関心は「あなた次第だ」という全ての事柄に当てはまる便利な言葉を言い放って終わり。
「自分次第」「人それぞれ」
ごくごく当たり前の話。
その当たり前も時代や生まれた場所や環境によって違うのだけど、この日本という環境においては、
よく使われる言葉。

見守るというのは、当事者にとっての成長・幸せなどを考えて、いつでも必要な時に対応するという姿勢。

人間には他者から干渉されたくない時もあり、あれこれ言われるよりも、何もしないでただ側にいてくれる事の方が有難い時もある。


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お金と時間があれば


大人になっても悩みは尽きない。年齢と共にその時の状況で悩みの種が変わっていくからだ。
10代では恋愛かもしれないし、
20代になったら仕事や友人関係、
30代になったら育児、
40代になったら、健康、
50代になったら、老後・・・


あくまでも一例であるが、常にそれぞれのステージで環境が変わっていく。だから悩まない人生なんてないし、むしろそれを受け入れながら、
自分のやりたいことをいかにして実行していくか。

大人になると、それはお金と時間があれば解決してくれるケースも多い。
特に僕が最近よく行く世界旅も、それさえクリアできれば実現できる可能性は大きくなる。(もちろん自分や家族の健康状態も大切だが)
でも、それはあくまでも自分だけの願望であって、それだけだと、ふとした時に虚しくなる事もある。

だから、こういった学校に行って活動するのは、そんな自分を支えてくれるものの一つでもあるし、
だからこそ、自分のやりたいことに専念することができる。

煩悩に支配されるのではなく、煩悩を理解しながらそれを解放する。

自分の生き方がもし本になるのなら、
図書館に数万冊あるうちの1冊の見本になるように、
それをたまたま手にとった誰かの為になることができたら嬉しく思う。

『自己犠牲的利他』ではなく、『自己中心的利他』に。
自分を大切にしつつ、他者への適切な関わりを持ち、やりたいことを実現していく。
贅沢なようだけど、そんな人生をこれからも。


最後に。
これまで10年、全国で出会った児童・生徒・学生たち。
まだメッセージしてないなかったら、是非一度でいいから送ってください。これからのあなたの活動を楽しみにしているので。